「家庭教育支援法」はいらない

2018年3月20日 12時43分 | カテゴリー: 活動報告

 今議会に「家庭教育支援法の制定を求める意見書を国会に提出することを求める陳情」が出ています。

2006年、第一次安倍政権下において教育基本法に「家庭教育」に関する条文が入り、その後「家庭教育支援法」の制定を求める動きとなっています。

(2016年11月2日付毎日新聞の記事には)
この「家庭教育支援法案」は、〈保護者が子に社会との関わりを自覚させ、人格形成の基礎を培い、国家と社会の形成者として必要な資質を備えさせる環境を整備する〉〈保護者が子育ての意義を理解し、喜びを実感できるようにする〉などと規定し、それに沿った基本方針を国や自治体が協力する、という内容。公権力が家庭内の教育に介入することを定める法案である。とあります。

「支援」とは言いつつ、この支援が求めているのは子どもの虐待の防止や貧困の解消を図るものではありません。子どもの育つ環境を考える時、例えば児童養護施設で生活する子ども達もいる中で、家庭こそが望むべき姿であると言い切ることは出来ません。家庭のあり方や女性の生き方などが多様化している現在の姿を踏まえての意見とも思えません。性別による役割や家族の役割を固定化し、結婚しない生き方、子どもを 産まない生き方、同性パートナーと歩む生き方など多様な生き方を否定するものです。多様な価値を認めることは重要です。

 陳情の中には児童の虐待の増加などが取り上げられています。それを家庭教育支援法ができることで、世の中にこれほどまでに多くの事件が次々と起こることを無くせるというのでしょうか。
 良い父であり母でありよい子であるというように一般的な家庭を形作ることを社会の規範として強く求められた場合、そうできない時にまじめな人ほど苦しみます。その苦しみの捌け口が最も弱い子どもに向けられた結果、虐待となった事例が多く報告されています。困難層ほど家庭規範が強く、現実に対応するのではなくあるべき価値観にしがみつく傾向があるといいます。厚木の事件もその一つと言えます。事件を起こした親に視点が行きがちですが、家庭を成立させる事が困難なその背景にこそ目を向けることです。家庭のあり方だけをただしていても問題の解決には至りません。繰り返しになりますが、法律で「あるべき」家族像を規定することは、その姿に当てはまらない生き方を否定することにつながりまねません。形ではない多様性を許容する社会こそが求められています。

 子どもの権利条約では、子どもの最善の利益の原則に基づき条例が組み立ててられています。家庭教育の支援というのであれば、様々なニーズをもつ子どもを中心において、その人としての尊厳を前提に支援をするという視点があるべきであり、国が求める「家族」が優先ではありません。

 高らかにそれぞれの家庭の有り様を語れる、それぞれがその価値を尊重し合える社会こそが望ましいと考え、そこに国の意思が入り込むことは望みません。
「家庭教育支援法」は、国の家庭への介入であり、憲法24条を否定し、子どもの守られるべき権利を侵害する可能生が大きいと考え反対します。

本会議最終日の賛否は、反対10人、賛成16人で意見書の提出となりました。